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2019.10.29つれづれ

【自己紹介】私が鍼灸師になった経緯をお話します。

「なんで鍼灸師になったんですか?」

 

患者さんから聞かれることがあります。

 

「40歳で鍼灸学校に行かれたんですね。なんでですか?」

「勉強、大変でしたか?」

そういえば、私の事を詳しく書くことはなかったです。

今日から、何回かに分けて、私が鍼灸師になったお話をします。

お気楽にお付き合いください。

 

1 鍼灸との最初の出会い

 

ひといちばい敏感な子

 

 

幼稚園の時は、クラスで1番くらいに泣く子でした。いわゆる、おとなしい子。部屋で遊ぶ方が好きでした。

小学校に入っても、体育は苦手でした。
逆上がりも、すごく練習してできたし、のぼり棒も、ウンテイも、怖かった。
怖がりで泣き虫な子。HSC(ひといちばい敏感な子)でした。

 

 

小学6年の時、町内のソフトボールチームに友達に誘われ、行く事になりました。
守備はピッチャー。2番手の。
ピッチャーになった理由は、他のポジションからは、ホームにボールが届かないので、
ピッチャーなら、届くからという、なんとも情けない理由。

そのチームに、中学生のOBが教えに来てくれていたのですが、
その先輩にあこがれて、その先輩が、バレーボール部だったので、
中学は、バレーボール部に入りました。

 

 

中学時代 ぎっくり腰

 

 

 

 中学では、セッターをしていました。

セッターは、面白くて、楽しかった。打ちやすいトスを上げる。
それだけの事を、丁寧にしていくと、アタックが決まる。私も役に立ってる。

中学2年の夏休み前。
練習中、ブロックを飛んで着地した途端、腰の激痛。
その場から立ち上がれなくて、這うようにして、コートから出たのを覚えています。

 

それからが、本当につらかった。
整形外科に行ったら、骨に異常なし。電気をあて、
牽引をしましょうという事で、リハビリに通いました。
しかし、一向によくならない。

牽引の重さはどんどん上がっていく。

腰に注射を打ったりしましたが、それも変わらず。
むしろ、悪くなってる感じがする。

バレーボールはもちろん、体育もできず、日常生活もつらい

腰痛になった経験のある方なら、分かると思いますが、
じっと座っているのも、つらい。笑っても、くしゃみしても、腰が痛い。

 

 

 一番、つらかったのは、
このまま、治らないんじゃないかという不安。

 

常に腰の事を考えている。

 

 

みんなから、心配される。「大丈夫?」と聞かれ、
大丈夫じゃないけど、「大丈夫」という、つらさ。

 

ぎっくり腰の女性の写真

 

 

 3か月ほど経ったとき、評判のいい整骨院に、行くことになりました。
そこで、初めて、鍼を刺し、その鍼に電気を流し、筋肉がぴくぴく動くというのをしてもらいました。
パルス鍼というものです。

 

 帰った日、びっくりするくらい、よくなったのです。半分以下の痛みになった。
うそやろ?と思うくらい。そこに、約半年、通い、バレーボールがまた、出来るようになったのです。

鍼、すごいなーというのが、私の鍼の印象でした。
怖いとか、そういうのは、全くなかったと思います。
もう、この痛みをとってくれるんやったら、何でもして。という気持ちでした。

 

今も、患者さんでお辛い症状と訴えるのを聞くと、
その頃の私を思い出します。

 

あのころは、治る希望がなかった。

それが、気持ちも暗くさせていた。

痛みも辛いですが、わかってもらえないつらさ、
原因がわからないつらさ。
それの方がつらいものです。

 

 

この鍼の出会いで、即、よし、鍼灸師になろうと

思ったわけではありません。

 

その後は、鍼とは、関わらない学生生活を送ります。

 

続く